とある事件

「娘の世話があって…。もし出来ることなら、遅番から早番にしてもらう可能性はないでしょうか?」
と、仕事先の上司に相談した私(西村)の妹セレンゲ。
店の主は、状況をきくでもなく、
「次の人員の募集を出したから。子どものいない男を雇う」とだけ。

彼女はは、私が家に帰ってくるなり、
「たぶん、今月いっぱいで首になる…」と切り出した。
妹はここで七年も働いてきた古株。聞くに付け、とても厳しい店主らしいんです。

仕事の状況はと聞くと…
昼の12時から夜11時まで立ちっぱなしで仕事。途中三時頃に20分程度の休みがあるけど、それ以外はずぅっとたちっぱなし。座ったり、手を休ませようものなら、怒号が飛ぶらしい。彼女のふくらはぎは腫れ上がってしまいました。

通常、こういうお店で働く場合は健康保険や社会保険関係はまったくなし。ま、日本のアルバイトをやとう感覚。就労時に、「保険を含めた手取りにするか、抜いた手取りにするか」などということを決めるのが一般的らしいですが、そういった話は一切無しだったという。

過去にも労働者ともめたことはあるらしいが、金を握らせて口を封じたらしく、また、衛生関係の立ち入りがあって改善を求められたらしいが結局、うやむやにしたまま…。

モンゴルの労働基準法に照らし合わせても、11時間労働は違法です。
彼女の賃金は600,000tg(約3万円)。保険などを払ったら、残りはせいぜい400,000tg前後でした。

このレベルで仕事をしたのであれば、1,500,000tgはもらって当然だと、知り合いのモンゴル人たちは言いました。

なにより、七年間も文句言わずに働いてきた彼女が、たった一度、子どもの送り迎えとかがあるので、できることなら、早番にって言っただけで、なぜ、首になるのでしょう?
店主は日本人、妻はモンゴル人。
ふたりとも、生活が大変なのは自分のせいだろのひとことで片付けて、話一つまともに聞くこともしないで、怒鳴りつけるだけだそうです。

そんなところですから、仕方なく、セレンゲは、首になるなと覚悟を決めました。

ところが、突然、早番にしてやるとの連絡がはいりました。八時間労働にもなると。たぶん、それにともなって賃金も安くされるんだろうとは予想したのですが、それでも、幼稚園の送り迎えなどかなり楽になると、彼女は喜んだそうです。

そして、早番にシフトする直前に、店主に仕事の内容を再度確認され、彼女は早番初日に向かったのですが…。

店主の妻(仕事の直接の上司にあたる)に、突然「キャベツの処理をしなさい」と言われたそうです。この女性、朝からとっても不機嫌そうな顔をして、挨拶一つまともにしない態度だったらしいのですが、その指示は店主からは受けていなかったので、セレンゲは躊躇したそうです。すると、「たいしたこと出来ないんだから言われたことくらいやりなさいよ。」と罵声を浴びせられ、同僚たちも「逆らわない方がいいよ」とみんな及び腰。仕方なく、セレンゲはぁ、やれといわれた作業を始めました。

すると、それから程なくして入ってきた店主が、「おまえ、なにをやっている!言われたことやればいいんだ。そんなことやれと言ってないだろ。働かせてやっているんだから、きちんと仕事くらいしろ!」とすごい剣幕で怒り始めたそうです。
「奥さんに言われたんです」と言ってもまったく取り合わず、罵声を浴びせまくる店主。ついにはセレンゲも頭にきて、口論に。
結局、「やれということが出来ないならやめろ」と怒鳴りつけられて、やめることになってしまいました。

以前もこのように、店主と妻の指示のいずれかに従ったあげく、それをとがめられてやめさせられた、いや、やめると自分からいうように仕向けられたかのようなやめ方をした人もいたそうです。私はこれは、やめさせる常套手段ではないのか?と疑いたくなりました。

こういうやりかたであれば、やめる、やめろと言ったの言わないのの水掛け論になって、なんの証拠も残りませんしね。

セレンゲは「店主はとっても怖くて、まともに意見なんていえる相手ではないから、言われたとおりに、言われたことしかしないわよ。間違えたら怒鳴られるどころか、モノ投げつけられることもあるから。でも、奥さんは直接の上司になるから、言うこと聞かないわけにいかないでしょ?で、これよ。どうなってんの?奥さんには、『あんた、モンゴル人でしょ?私たちのこと、少しは考えなさいよ』って言ってやったけど、わかるわけもないわよね。」と。

出て行き際に、彼女は泣きながら、「いままでお世話になりました。七年間仕事をさせてくださり、ありがとうございました。」と挨拶をしたそうですが、店主は彼女をみるわけでもなく、「おまえのミスでやめていくんだからな」とだけ。奥さんとやらは、「私が悪いんじゃないわよ、あんたが勝手なことをしたんだからね」と。

給料を振り込んでやるから口座を教えろと言われ、口座番号を覚えていないというや、「そんなことも知らないバカなのね」と、これまた、罵倒をくらうはめに。
で、振り込まれたのは、見事に月給のうちの、働かせてもらえなかった数日分をしっかり引いた額。

その後、代わりの人がはいったが、一日でやめてしまったそうで、なんと…

いけしゃぁしゃぁと、「火曜日から、おいで、つかってやるから」とかというメッセージが入ったそうですが、セレンゲは無視しました。

「あの奥さん、きっと私のこと、めちゃくちゃ悪く吹聴しているわ。そういう人よ。『仕事も出来ないくせに生意気言って、勝手なことやって出て行ったのよ』ってな具合に。だって、やめていった人のこと、そういう風にいっているもの。」とも。

同僚たちからは、姉さん、出るとこでてくれと頼まれたそうです。このままでは、このひどい状況は改善されないだろうと。セレンゲは出るとこ出ようかとも思ったらしいが、子どもの世話もあるし、仕事も見つけなければならないし、腹立つけど、やめました。

わかる方はわかるといますが、某ガイドブックにも載っているウランバートルの老舗の有名パン屋であり料理屋です。『石庭』ではなく、庶民的な方の。店主は日本人。ウランバートル在住の日本人さんが結構利用するお店。

あえて、名前は出しませんが、この店は、モンゴル人労働者をこき使って、罵倒し、侮辱し、異常な長時間労働を課している店だと言うことを重々おしりおきいただきたく思います。


それから数日後、「あの店、なんか言ってきたか?」ときくと…、
「店主や奥さんからは連絡きてないわ。でも、同僚からは電話が来たの。どうしてる?って。店主たちは、『あの女はどうしたの?連絡くらい取っているんでしょ?あんたたち。とってないわけないわよね?ここがこんなに大変になっているってわかっているのに、心配になったり、こころ痛めたりしないのかしら?どんだけ迷惑かけるのよ!ちょっとあんたたち、電話しなさいよ』っていっているよって、電話がきたの。だから、次の仕事はもうすぐ見つかるっていっておいてって言ったわ。」
とのこと。
非常に劣悪な仕事環境で、いままでに何人もやめてったという店ですからね。一日もたないのがほぼ普通らしいです。そういう店にとって、7年間も働いてすっかり仕事慣れした貴重な人材がどれだけ大切か、わかったのかは疑問ですが、どやしつけて、でていっても、どうせ戻ってくるだろうって高をくくっていたのでしょう。もし、戻ってきたら、「使ってやるから、感謝しろ」というように支配下にいれようという腹に違いありません。
日常的に、「おまえは、うちでつかってやっているんだから、感謝しな」という態度だったといいますし…。

しかし、こんなところでもしっかり働けて、で、技術も身につけた、働き者は、もっと正しく評価してくれるところがあって、すぐに新しい職場は見つかりました。国の管轄下にある保育園でした。

保険などがひかれて、手取りは300,000tgと減ってしまいましたが、労働時間は八時間で土日は休み(今までは週休一日のみ)で、自由な時間ができたと喜んでました。なにより、技能訓練の機会もあって、調理師としてのスキルアップもできるからとセレンゲはとても楽しそうでした。


という事件が2017年の秋にありました。
2021年中頃からは調理師の仕事から、保育士の仕事へと移動を願い出たそうです。きくと、忙しくて大変だから多少給料が減ってもいいから、子どもといられるようにしたいと思ったそうです。

セレンゲは、私(西村)にとって大恩人であるバットヒシグじいさんの娘です。草原生まれ、草原育ち。結婚して、ウランバートル住まいになったけれど、生粋の草原の人。

「はじめて会ったとき、あぁ、草原の田舎者だ。俺たちと同じだと思ったよ。」とは、タイガに住む弟夫婦たちの言。

心根の優しい、そして子どもの教育、しつけに熱心な、働き者です。

以前、草原にいたときに、私の担いでいた荷物をもってくれようとしたのですが、「いいよ、自分で持てるから」とことわったところ、「あー、兄さん、私に手伝わせてくれないんだー!すねちゃうもーーーーーん!」と大声出して…ってな、かわいい妹です。

残念なことに、結婚した旦那はDV夫でした…。酒飲んでは、セレンゲが骨折するくらいまで殴るとんでもない男でした。長女は父親が母親を殴る様子をみて育ち、母親を殴っていいものと勘違いするに至ってました。日本に来たときに、その様子をみた、私や私の母で徹底的にそれをこらしめて矯正、セレンゲも娘と真っ向勝負して勝利(?)。いまではとっても優しいいい子です。

裁判を経て、離婚が成立したのですが、DV旦那は娘をネタに近づき、一度、寄りをもどしかけました。そして、その後、次女を妊娠。ところが、再び、DVが始まりました。

セレンゲは身重でしたが、徹底的に戦い、完全にシングルマザーとして生きていくことを覚悟しました。

その後、次女を出産した彼女は、家族三人+親戚の男の子(アーギー)の四人でとてもとても楽しく暮らしてきました。長女とアーギーで、次女の面倒をみながら、みんなで力を合わせて暮らしてきました。

そこに、今回の事件です。

もう一度、繰り返しますが、彼女は、草原のイロハを教えてくれたバットヒシグじいさんの娘なんです。このじいさんがいなければ、今の私、しゃがぁは存在していなかったと言っても過言ではありません。このじいさんの子どもたちは、私の兄弟たちです。「兄さん」と慕ってくれて、何も言わなくても、お茶だの食事だの、なんだの、かんだのと助けてくれるんです。

というわけで、「セレンゲのデール販売」を本格的に始めることにしました!

モンゴル民族衣装デール購入をお考えの方、是非、ご一考ください!