ことの起こりから、今まで…

コトの起こりから、今まで…

ことの起こりは1998年にさかのぼる。
筆者がいつも行動を共にする運転手が、「ゴビにすごいやつがいるぞ」と教えてくれた。それでは、ということで、ドンドゴビアイマグへと車を走らせ、 400kmほどを走ったところで、小さなゲルにいたネルグイと出会った。この時のことは、モンゴル情報紙しゃがぁvol24に詳しく書かれているから、ここでは割愛しよう。
とにかく、彼の演奏は、それまで聴いてきた沢山の馬頭琴とは全く異なり、全身総毛立つかのような感覚を覚えたのだ。何がすごいかは、言葉で表せないのだが、とにかく、「何か、すごい」のだ。
とりあえず、録画して帰国し、数ヶ月後、のどうたの会の嵯峨治彦にビデオを見せた。すると、彼もまた、「すごい!」というではないか。とにかくすごいとしか言えなかった筆者だが、音楽的にも馬頭琴的にも、プロの目からみて「すごい」というお墨付きをもらえて、いたくいい気持ちになったのだ。

そのいい気持ちが、そのまま勢い余ってしまい、思い立って一晩で、CD「ゴビの馬頭琴弾き」は出来上がった。
現地のゲルの中でDATで録音してきた音源をPCに取り込んで、マスタリングらしいことは全くせず、いや、出来ず、出来上がったCDを自分で聴いてみて、「うん、確かにこんな音だった」と作ったCDを、調子に乗って売り出してみた。
すると、なんとも意外にも、お褒めのお言葉を頂けたのだ。
「草原のゲルの中で、間近に聴いた音に似ている」
「弦のこすれる音も聞こえる」
と、筆者が伝えたいと思った草原の馬頭琴の音が、すばらしい偶然の結果としてCDに納められたのである。
沢山の人に、草原で聴く馬頭琴の音色を伝えたいというだけでできあがったのが、ネルグイを日本に知らしめる最初のCDであった。
さて、CDの反響が良かったことに気をよくした筆者は、調子に乗って、「彼の住むゴビに行って演奏を聴こう!」と言い出したのだ。嵯峨治彦を特別スペシャルゲストに迎え入れ、札幌テレビまで巻き込んでの、ゴビツアーが2000年夏敢行された。ビデオでネルグイ奏法を研究、習得してきた嵯峨治彦はその腕前をネルグイに披露し、一番弟子として迎え入れられるなど、たくさんのすばらしい思い出を、筆者のみならず、多くのツアー参加者の方々に残したツアーとなった。
なによりも、このツアーの収穫は、やっぱり彼は宴会で本当の本来の彼の演奏となることが明確になったことだろう。ゴビ大平原で満天の星空の元、暗くなってまで続いた宴会は馬頭琴のあるべき場所、モンゴル文化の原点を教えてくれたのである。

そして、今度は、「あの宴会みたいなコンサート」いや「コンサートみたいな宴会」の楽しさ、すばらしさを日本に伝えられないだろうか?という話になってきたのだ。
のどうたの会、モンゴル情報紙しゃがぁ共催で、2003年秋、ついにネルグイプロジェクトが始動となったのである。
2003年時のコンサートは単なる馬頭琴コンサートというものではなく多角的にモンゴル文化を伝えることをも主眼に起き、基本的に5部構成の大規模な内容であった。
第一部:スライド&トーク「ゴビと言うところ」(西村幹也)
ネルグイの住むゴビの自然環境を観客に理解してもらう
第二部:ネルグイ・ソロコンサート(ネルグイ・西村[司会])
彼の生い立ちなどを曲間に紹介しながら、ソロ演奏を楽しんで頂く
第三部:モンゴル民話語り(野花南:田中孝子・嵯峨治彦)
馬頭琴伝説の紹介
第四部:嵯峨治彦・ソロコンサート(嵯峨治彦)
のどうた(ホーミー)の紹介もしながら、現代の馬頭琴曲について語る
第五部:ネルグイ&嵯峨師弟セッション
草原で馬頭琴をひたすらに弾いてきたモンゴル人演奏家と世界中の様々な音楽を知る外国人演奏家のセッションから、馬頭琴の将来、未来を感じてもらう

という、手前みそながらも、やはり豪華な内容で、北は北海道のオホーツク海岸沿いから南は沖縄までを行脚する大コンサートツアーとなった。
まさにゴビの熱風、日本列島を襲うとでもいわんばかりの彼のパワフルな演奏は多くの人々に受け入れてもらえたことと思う。
そして、こういった大反響とアンコールの要望に応えようとプロジェクトは続行することになった。
2004年ゴールデンウィークには関西、関東地域で(しゃがぁ主催)、
2005年2月~4月には九州を中心に西日本地域で(しゃがぁ主催)、
2006年6月には再び北海道で(のどうたの会主催)、
様々な形のコンサートに対応しながら、そのファンを増やし続けている。
もともとゲルにあった馬頭琴が、舞台に去ってしまって数十年になる。
そんな馬頭琴を人々の生活に近いところに再び引き戻すために、彼のような自由な演奏者の存在は大切なのだ。そんな信念をもって、今までやってきたし、これからも続けていこうと思う。

【更なる伝説へ】2011年加筆
さて、こんな訳ではじまって、続いてきたネルグイコンサートだったが、2007年からはカザフ人のクグルシン氏をメンバーに加え、さらなる進化を遂げることになる。
北アジアの2大遊牧民族カザフ人とモンゴル人によるセッションをレパートリーに加えて、「遊牧の民の調べ」を広く届けるようになった。モンゴル国では、この二つの民族が、それぞれの民族楽器で相手の民族音楽を奏でること自体が珍しく、まして、一緒にやるなど”ありえない”と思っている人が、いまだ、多数いる。
その禁断の文化融合をネルグイ&クグルシンは果たし、新しいコンサートを作り出していくようになったのだ。
が、ネルグイ氏は、酒が好きだった。とてもとても好きだった。酒をある程度で抑えられるととても、いや、むしろより良い演奏になっていたのだが、歳を重ねるにしたがい、飲んでいた酒に飲まれるようになってしまったのだ。日本滞在中は飲酒をある程度に抑えられていたのだが、モンゴルにいたら、浴びるように飲む日々で、体を・・・。長丁場の、しかも、車でずぅっと走り続けるという貧乏コンサートに耐えるのが難しくなってきたのが、見え始めたのが2009年だった。そして、2010年を最後に、”自宅療法”ということになった。”酒を完全に断ち切って、体力回復したら”ということでお休みとあいなった。

しかし、ここで問題になるのはネルグイ氏のような在野の演奏家がいるか?である。社会主義が崩壊してからずいぶんとたち、在野の演奏家たちも高齢になってしまい、ハードなコンサートツアーに耐えられないかもしれないと思われる。が、意外と簡単に見つかってしまった。ネルグイ氏の住むウルジート郡に、同じく在野の演奏家「オランサイハンチ」として、コンクールなどで金メダルを常に争った演奏家ドルジパラム氏とあっさり話がまとまったのだ。以前から彼の存在は聞き及んでいたが、趣味人の彼を捕まえるのは非常に難しく、あえずに随分と時間が経っていたのだ。しかし、今回、人づてに彼にアポイントメントをとりつけ、訪ねていったら、即答「行くよ」だった。我々のコンサートツアーについては、かねてよりネルグイ氏から聞かされていたというのだ。コンサート趣旨もよく理解してくれて、交渉は何の問題もなくまとまった。それが、2010年夏のこと。
そして・・・
2011年1月、ドルジパラム氏は来日した。ネルグイ氏とは全くといっていいほど雰囲気の違う馬頭琴演奏を60カ所で披露、人々をその馬頭琴、そして、歌声で魅了した。彼は様々なジョノンハルを知り、沢山の物語や讃歌を語ることが出来、彼にとっても初めてのはずのカザフの音楽を愛し、それを覚え、新しいアレンジを作るなど、とても意欲的だった。2011年3月に帰国するときには、「今度くるときまでに、子供の頃に録音しておいた沢山のテープを聴いて、古い曲とかを思い出しておくよ。あ、カザフの歌もな。」とまで言っていた。

これからの「遊牧の民の調べコンサート」は毎年、たくさんの新曲をお届けできることになりそうだ。
期待していただきたい。

【コンサートの今】2022年加筆

ドルジパラム氏を迎え、クグルシン氏とのセッション曲も増え、コンサート依頼も年々増えていった。途中でネルグイ氏が再来日を希望したり、2016年の北方アジア遊牧民博物館オープン記念コンサートでドルジパラム氏とネルグイ氏の両氏を迎えてのコンサートツアーなど日本各地で好評をいただき、2018年春にはクグルシン氏の長男ブケンバイを招聘、コンサート(北海道地域のみ)を開催できた。しかし、2018年秋の突然のドルジパラム氏の訃報が届き、予定していたボルジギン馬頭琴演奏会(日本初)は無期延期となってしまった。2019年のコンサートツアーは急遽ネルグイ氏にお願いして開催、また続けてクグルシン氏の長男ブケンバイのコンサート、更には、クグルシン氏、氏の長男、末娘を招聘してのクグルシンファミリーコンサートツアーを開催した。

コンサートは様々に形を変えながら、しかし、プロ演奏家ではないながらも素晴らしい腕前を持つ人々を紹介しながら、遊牧民にとって音楽とはなんであるのか?というテーマを追求し続けてきたのである。

そして、2020年には、いよいよ、まったくといっていいほど(いわゆる)音楽教育を受けていない、しかし、現地において、生活の中で、歌い、演奏しつづけている遊牧民を招聘することとなった…。ボルドー氏である。観客や共演者のことを全くといっていいほど考慮しない、ただひたすら歌い、奏でる彼の様子は、まさに遊牧民にとっての音楽行為とはなんであるのか?を示唆するものとして、2020年コンサートツアーは各地に驚きと感動を巻き起こしたと言っていいだろう。遊牧文化の真髄は口承文芸にあると、東京外国語大学におられた故蓮見先生は仰っていたが、その口承文芸の王道といえる英雄叙事詩の詠唱者を広く紹介できたことは主催者として、少々胸を張れた出来事だった。

さて、2022年現在…。

演奏者を招聘できないため、「遊牧の民の調べコンサート」は休止している。